Mahiru Kamimori のすべての投稿

お話を書いたり、絵を描いたりしています。ノベルアプリ『KIRIKA~同じ人間がいる、もう一つの世界~』をAndroidとiPhoneで配信中です!

09 主張

翌日。早速、ショッピングモールのアクセサリーショップへ向かった。クリスマスシーズンなので、前来た時とは違うアクセサリーがたくさん店頭に出ていた。

ユーリ「悔しいですけど、すごくきれいです。この細かい装飾はどうやって施しているんでしょう?」

ユーリ君はいつのまにやら手に入れたルーペで商品を細かく見ていた。

キリカ「うわあっ!!そういうことは買ってからにしてよ!目立つから!」

ユーリ「!?・・・。でも、買っちゃいけないんでしょう?」

キリカ「うぅ・・・!!」

買ったとして私たちはいずれルカへ帰る身。持ち帰ることはできない。すると、やはり目立ってしまい店員さんがやってきた。

店員「しっかり見ていただいて大丈夫ですよ。」

キリカ「!!・・・す、すみません・・・。」

ユーリ「本当ですか!?ありがとうございます!」

ユーリ君は店員さんの厚意も理解せず、ルーペでアクセサリーを眺め出した。はあ・・・。

店員「ふふっ!今日はデートですか?」

キリカ「!?・・・え、あ、まあ・・・。」

恥ずかしかったのと、目立ってはいけない気持ち混ざり合い、曖昧に答える。もう一人のユーリ君はアクセサリーに興味はないって話だし、大丈夫だよね・・・。

店員「可愛い彼氏さんですね!」

キリカ「!?・・・あ、ありがとうございます・・・。」

照れながら返すと、後ろからユーリ君が突っ込む。

ユーリ「違います!夫です!」

店員「えっ!!?」

キリカ「ユーリ君!!」

私は『余計なことを言うな!』と言わんばかりにユーリ君をにらむ。さすがのユーリ君も、まずいことを言ったと気づいたみたいだ。

キリカ「気持ちの上では『夫』・・・そうだよね?」

ユーリ「!?・・・は、はい・・・。」

店員「ふふふっ!仲がいいんですね!うらやましいですぅ!ゆっくりご覧になってくださいね!」

キリカ「はーい!」

店員さんが離れたのを確認した後、ユーリ君に小声で忠告した。

キリカ「バルでは彼氏にしておかないとダメだよ!前も話したよね!?」

ユーリ「!?・・・す、すみません・・・。もうそろそろいいのかなって・・・。」

キリカ「ダメ!バルの男性は、18歳以上じゃないと結婚できないんだから。」

ユーリ「うぅ・・・!!・・・そんなに僕、大人っぽくみえないですか?ハルキさんやジンさんには敵いませんけど・・・身長だって伸びてるんですよ!?」

キリカ「身長は関係ない。目立った行動をとるのが問題なの!」

ユーリ「!!・・・す、すみません・・・。」

ちょっと言い過ぎたかな?ユーリ君はルーペをポケットにしまい、俯いてしまった。私だって怒りたくて怒ってるわけじゃないんだけどなあ・・・。

キリカ「またユーリ君と一緒に来たいから言ってるんだからね?」

ユーリ「!!?・・・。はい!」

嘘でしょと思えるくらい単純でありがたい。みるみるうちに彼の表情が晴れやかになっていく。

キリカ「ちょっとお手洗いに行きたいから、ユーリ君はここで待ってて!」

ユーリ「一人で大丈夫ですか!?」

キリカ「治安がいいから平気。あっ!お願いだから、その店から動かないでね?」

ユーリ「!?・・・は、はい!」

一人で見ていれば、しゃべらないからボロもでにくいだろう。私は気持ちゆっくりめでトイレへ向かった。

 

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08 ネバーランド

翌朝、私とユーリ君はこっそり占術の間へ行き、ワタリさんの指示に従い、バルへ転送された。その後、銀河研究センターからスニケットの車でいつも使っているホテルへ向かった。ユーリ君はまるで新作のアクセサリーを見るかのように、街のイルミネーションに心を躍らせていた。

ユーリ「すごい数の電飾ですね!ルカでは考えられません!!」

キリカ「そうだね。」

私は、光の小精霊たちで灯される優しい感じの光の方が好きだけどなあ・・・。そう思ってしまうのも見慣れているせいもあるかもしれない。

スニケット「年末で混雑してるところも多いから、はしゃいで目立った行動とるんじゃねーぞ!」

ユーリ「大丈夫ですよ!バルへ来るのはこれで4回目・・・任せてください!」

スニケット「ほら、もう調子に乗ってやがる!ちゃんと見張ってろよ、オ・ク・サ・マ!」

キリカ「!?・・・うるさい!わ、分かってるよ!」

奥様とからかわれ、苛立って返した。確かにスニケットの言う通り、ユーリ君の行動は目立つ。くれぐれもワタリさんや銀河研究センターの人たちに迷惑がかからないようにしないと・・・。

信号待ちしていると、街の電光掲示板にニュースが流れていた。『ネバーランドのユーザー数が国内人口の半数を上回る。加速する切り替え自殺に政府は罰則を検討。』と出ている。

キリカ「ネバーランド?」

スニケット「ああ・・・生命保険会社が運営してる脳ゲーな。脳をデジタル化して、死後も生きられるっていう・・・。」

ユーリ「!!?・・・。死後も・・・生きられる・・・?霊魂の状態でも、記憶を保持してさまよえる・・・ということでしょうか?」

スニケット「デジタル・・・いや、お前にっても通じないか。要するにだ!身体はいつか朽ちちまうだろ?だから、新しい身体に記憶を移して生き続けましょうってことだ。」

ユーリ「!!?・・・新しい身体って・・・どこから用意するんですか!?」

スニケット「例えだ、例え!!面倒くせなあ・・・デジタルをどう説明すりゃいんだよ!」

ユーリ「でじたる・・・。」

キリカ「加速する切り替え自殺って何?昔、子供が脳ゲーをやって現実とゲームの区別がつかなくて・・・みたいな?」

スニケット「違う。このネバーランドっていう脳ゲーは、ゲーム中はAIが現実(リアル)を代行するんだよ。でも、現実(リアル)をAIに乗っ取られる危険性があることから、政府はゲームに切り替えられるのは死後のみと発表した。それによって、AIに乗っ取られる心配はなくなったけど、ゲームをやりたくて自殺する奴らが後を絶たないってわけさ。」

死んだらゲームの世界へ行けるなんて、死にたいと思っている人には甘い誘い文句でしかないもんね・・・。バルはどんどん現実とゲームの境界線がなくなっていってる気がする・・・。

ユーリ「あの・・・『えーあい』は霊獣みたいなものなんでしょうか?」

スニケット「・・・・・・・。俺は知らんぞ。」

面倒くさいことが嫌いなスニケットは、ユーリ君の疑問から逃げ出した。私もどう説明していいか分からいのだが・・・。

キリカ「少し似てるかもね。自分以外に身体を乗っ取られてる危険性がある・・・という点に関しては。」

ユーリ「!!・・・。『えーあい』も恐ろしい存在なんですね・・・。」

キリカ「うん・・・。」

これからバルはどうなっていってしまうのだろう・・・。

 

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07 将来

夕食後、お風呂に入って部屋に戻ると、予想通りユーリ君が抱きついてきた。

キリカ「今日は抱きつきすぎじゃない?」

ユーリ「これでも足りないくらいだよ。」

キリカ「・・・・・・。」

可愛い・・・。何も言い返さず、ユーリ君の胸に身体を預けた。ちょっと離れていただけなのに、泣きそうな顔をして寂しがってくれる彼が好きだ。

ユーリ「キリカ・・・。」

名前を呼ぶ声はすでに息苦しそうで、引きつけられるように唇を重ねた。私もしたかった。ジンに無理やり連れてかれたといえど、ユーリ君が他の女の子と楽しそうに話してたんじゃないかと思うと、やきもちを焼かずにはいられない。

キリカ「今日は・・・話しただけ?」

ユーリ「ん?」

キリカ「ジンと行ったんでしょ?合コンに・・・。」

ユーリ「!?・・・もう絶対行かない!ジンさんがキリカのためだって言うから、僕は・・・。」

キリカ「!!?・・・。」

その言葉だけで、嫉妬心が安堵に変わる。私は彼が話すのを制すようにキスした。

ユーリ「!?・・・。」

キリカ「ユーリ、好きだよ。」

ユーリ「!!・・・。」

すると、いきなりユーリ君は私の身体を抱きかかえた。お姫様抱っこされてるみたい・・・というか、されてる・・・!?あまりにも突然のことで言葉が出ない。

ユーリ「続きはベッドでしよう?」

キリカ「!!・・・。」

恥ずかしくて、目をつぶりながら何度も頷くと、額にキスされた。突然どうしたの、ユーリ君・・・!!優しくベッドに寝かされると、彼も流れ込むように横になって、唇も自然と重なる。私も応えるように、彼の髪を撫でる。

ユーリ「はあ、んんっ・・・キリカ・・・!!」

ユーリ君は髪を撫でられると、息苦しそうにしながら夢中でキスをする。この声と仕草に何度理性を奪われたことか・・・。

ユーリ「キリカ・・・。」

気になることが頭をよぎったのか、ユーリ君は急に不安そうに名前を呼ぶ。

キリカ「ん?」

ユーリ「僕は・・・このままでいいと思う?」

キリカ「どうしたの、急に・・・。」

ユーリ「ジンさんに言われたんだ。16になるんだから、夫としてキリカの将来も考えていかないと・・・って。」

キリカ「!?・・・。」

今になってジンが何の心配をしているのか分かった。バルと違い、ルカでは10代後半から20代前半で出産することが多いらしい。さらに、ルカの女性は子供を授かりたいという意識が強いため、ジンは私も例外ではないと思ったのだろう。

キリカ「慌てなくてもいいと思う。」

ユーリ「え!?」

キリカ「私は今のままで十分幸せだし、ユーリの助けが欲しいときはちゃんと言うから。」

ユーリ「!!・・・キリカ!!」

嬉しそうに擦り寄ってくる彼に、私も応えるように髪を撫でた。もう少し・・・このままの関係でもいいかな?

 

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06 支度

ユーリ君とジンがマイラスへやってきたのは、夕刻で、ちょうどその頃、私はエレナさんとキッチンで夕食の準備をしていた。

ユーリ「キリカさん!!ごめんなさい!!僕はキリカさんがいないと生きていけませんから!!」

キリカ「うわっ!!」

ユーリ君は泣きながら、背後から抱きついた。ここまで情緒不安定だと、もう人前だろうが、なんだろうが関係ない。

ジン「こいつ、走って帰るとか言うんだぜ?おかげでこっちまでくたくただよ!」

キリカ「走って帰って来たんだ・・・。」

エレナ「ふふっ!ユーリ様はキリカ様と一緒じゃないと落ち着かないんですよね。」

ユーリ「!!・・・そうなんです!それなのに・・・ジンさんが僕をいかがわしいお店に連れて行って、キリカさんとの関係を壊そうとして・・・!!」

エレナ「まあ・・・!!」

ジン「ちょっと待て!!いかがわしいお店ってなんだよ!!普通のレストランだろ!!」

ユーリ「いかがわしいお店でした!!でなければ、あんなにたくさんの女性と食事するわけありません!!」

キリカ「・・・・・・・。」

十中八九、合コンだ。何を考えているんだか・・・。

キリカ「人の夫を合コンに連れていくなんてどういうつもり!?」

ユーリ「そうですよ!僕はキリカさんの夫なんですからね!」

怒りながらも、ユーリ君の顔は緩んでいる。私に『夫』と言ってもらえて喜んでいるに違いない。ジンは頭をかきながら、面倒くさそうに答える。

ジン「あー、無断なのは悪かったよ。だがな、こいつは女を知らなすぎる!」

キリカ「!?・・・知らなすぎるって・・・私も一応女なんだけど!?」

ジン「あー!ややこしいなあ・・・そういう意味じゃなくてだな・・・!!」

ジンがしどろもどろになっていると、エレナさんが鍋に火をかけた。

エレナ「キリカ様、夕食が遅くなってしまいます。続きを始めましょう。」

キリカ「あっ!はい!」

ジン「ほら、ユーリ、行くぞ!」

ジンはユーリ君を急かすように肩をたたき、彼はなごり惜しそうに私から離れ、小さく手を振った。私は照れくさくて、小さく頷いて返事した。そんなやり取りを見たのか、エレナさんは微笑ましそうに話す。

エレナ「キリカ様は、今のユーリ様で十分なんですよね。」

キリカ「えっ!?・・・うん、まあ・・・。」

本音を言えばその通りだが、即答するとのろけてるみたいなので濁した。

エレナ「ジン様はジン様で、キリカ様を案じておられるのです。悪く思わないであげてくださいね。」

キリカ「!?・・・う、うん・・・。」

私も本気で怒っているわけじゃないんだけど・・・。まるで、エレナさんはジンが何を心配してるのか知っているようだ。

キリカ「エレナさんは、ジンの良き理解者だね!」

エレナ「ふふっ・・あまりにも誤解されやすいので見ていられないだけですよ。」

エレナさんはそう言って、スープの味の最終確認をしていた。エレナさんとジンが結婚したら、いい夫婦になるんだろうなあ・・・。でも、ジンには、アンチルカの暗部に所属し、精霊使いの命を奪っていたという償いきれない過去がある。それもあって、ジンは自分が幸せになることから一線引いている部分はあると思う。現に、女好きなのに誰とも付き合わないし・・・。

エレナ「キリカ様、食器の準備をお願いしてもいいですか?」

キリカ「!?・・・はい!」

いけない、いけない!妄想を断ち切り、慌ててスープ皿を並べた。

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05 おばあちゃん

おばあちゃんの自室へ行くと、体調が悪いと聞いていたが、いつも通りの服装で椅子に座っていた。テーブルには小鳥のエサが置いてあり、数匹の小鳥がエサをつついている。

キリカ「おばあちゃん、ただいま帰りました。」

トキ「おやおや、しばらくだったね。」

おばあちゃんはそう言いながら、椅子から立とうとしたので制した。

キリカ「そのままで大丈夫だから。」

トキ「!?・・・。エレナから何か聞いたのかい。」

キリカ「!!・・・。聞かなくても分かるよ。急にエレナさんしか占術しなくなったら・・・!!」

トキ「・・・・。それでわざわざ帰ってきたのかい?」

キリカ「!!?・・・。」

この質問は『うん』と答えてはいけない。答えれば、おばあちゃんは私を叱り、病状を隠せなかった自分を責めるだろう。

キリカ「ううん。ユーリの仕事の都合で。」

トキ「・・・・・・。そうかい。」

少し間があったが、おばあちゃんは安堵して外を眺めた。

トキ「小精霊は近くにいるかい?」

キリカ「!?・・・うん。すぐそこに。」

私は庭の木々にいた緑の小精霊を手招きするように呼んだ。緑の小精霊はすぐにやってきて、おばあちゃんを見つめていた。

トキ「今、どこにいるのかね?」

キリカ「目の前だよ。ここ。」

小精霊に頭を撫でるように手を伸ばすと、おばあちゃんと小精霊の視線が合った。

トキ「しばらくここにいるよう頼んでくれないかい?」

キリカ「!?・・・う、うん・・・。」

おばあちゃんも小精霊に会いたかったんだと思うと、嬉しいな。占術師をやってるんだもんね・・・興味ないわけないよね!

トキ「少し横になるから、一人にしておくれ。」

キリカ「あっ、うん!」

私は緑の小精霊に軽く目で挨拶して、部屋を出た。

 

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04 ガールズトーク

ジンとユーリ君と別れ、ネルさんと二人で早速マイラスへ向かった。お父様(ユーリの父)にも挨拶したかったが、やっぱり貿易に出ているらしい。相変わらず忙しいお人だ。

マイラスへ着くと、小精霊たちが一気に駆け寄ってきた。

風の小精霊「キリカ、おかえりなのねん!!」

緑の小精霊「久しぶりのマイラス、ゆっくりしていくのね!」

キリカ「ありがとう!」

ネル「!?・・・あっ、精霊?」

キリカ「うん。みんな、おかえりって言ってくれてる。」

ネル「キリカちゃんは精霊使いの鏡ね。最初に出会ったときは不安でしかなかったのに、すっかり頼もしくなっちゃって・・・。」

キリカ「えへへっ・・・。」

自分でもびっくりするぐらい成長したと思ってる。いきなりルカに送り込まれ、精霊使いになれと言われてから1年半で、こうも人は変われるんだとも・・・。

小精霊たちと軽く会話を楽しんだ後、お屋敷へ向かった。その途中も、私の顔を覚えている住人たちが声をかけてきてくれる。フレイブリースに移り住んでけっこう経つけど、ルカでの私の故郷はこれからもずっとマイラスなんだと思う。

お屋敷に着くと、エレナさんがいた。エレナさんは私と目が合うと、深くお辞儀した。

キリカ「エレナさん、ただいま!」

エレナ「おかえりなさいませ、キリカ様、ネル様。ユーリ様はご一緒ではないのですか?」

キリカ「ジンと一緒に後から来ると思うよ。」

エレナ「ふふっ!そうなんですね。たまには女同士の方が会話が弾みますものね!」

キリカ「そうなんですよ!」

言われてみれば、ガールズトーク久しぶりかも!楽しい・・・!!

ネル「他の使い手(精霊使い)も屋敷に?」

エレナ「カナメ様とシュウ様は巡礼中です。」

ネル「ふーん・・・。」

キリカ「どうかした?」

ネル「警備が手薄になってないか気になってね。まあ、人の精霊騒動が収束して以来ルカも平和になってきたけど・・・。」

キリカ「・・・・・・・・・。」

ネルさんは、まだアンチルカに脅かされていた頃の意識が根強いようだ。

人の精霊騒動が収束後、私はフレイブリースへ移り住み、引き継ぐ形でカナメさんがマイラスの精霊使いになった。当初、私とカナメさんの二人体制で加護契約を行っていく予定だったが、嬉しいことに精霊使いの素質を持ったシュウ君がマイラスへやってきたのだ。14歳の少々変わった子だが、精霊使いとしてはとても優秀だと、カナメさんはぼやきながら言っていたのを思い出した。今日会えるの、ちょっと楽しみにしてたんだけどなあ・・・。

エレナ「カナメ様にも、シュウ様にも常時2人の護衛がついていらっしゃいます。キリカ様の時のようなことはありませんよ。」

キリカ「ははっ・・・。」

私のときは、最初ジン一人だったからね・・・。生きてるから笑い話にできるけど、九死に一生みたいな場面が何度遭ったことか・・・。

エレナ「キリカ様は、先にトキ様にご挨拶を。ネル様は私が大広間へご案内しますね。」

キリカ「はい!」

エレナさんに促され、私はおばあちゃんのいる自室へ向かった。

 

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03 出迎え

リーネガイルの港に着き、船を下りようとしていると、下でジンとネルさんが大きく手を振っているのが見えた。

キリカ「ジーン、ネルさーん!!」

ユーリ「ただいま戻りました!」

そう二人で元気よく答えると、ジンとネルさんは顔を見合わせて笑っていた。小走りで二人の元へ向かい、ユーリ君はジンの元へ、私は嬉しい衝動を抑えられずネルさんに抱きついた。

キリカ「ネルさん、ただいま!」

ネル「おかえり~!元気そうで何よりだわ!」

ジン「キリカちゃーん、ジンお兄さんにもそのただいまちょうだい!」

ユーリ「ジンさん、ただいまです!!」

そう言って、ユーリ君がジンさんに抱きついた。

ジン「お前のじゃねーよ!」

ユーリ「ふふっ!でも、僕とキリカさん、毎日抱き合ってますので間接的に抱き合っているようなものですよ!」

キリカ「!!?・・・。」

抱き合ってるって・・・!!

ジン「毎日・・・。」

ネル「抱き合ってるだって・・・!?」

ジン「おい、ユーリ!まさか、お前、移動中に・・・!!」

キリカ「うわああああっ!!違うから、違うから!!」

ユーリ君の『抱き合ってる』は、本当に純粋な『抱き合ってる』なんだ。

ユーリ「違わないですよ!僕たち、毎日抱き合ってるじゃないですか、ほら!」

キリカ「!!?・・・。」

人前は無理と思ったが、これで疑いが晴れるならと思い、ユーリ君の抱擁に堪える。すると、ジンとネルさんは『あー』と呆れんばかりの声を上げた。

ネル「今年で16になる男とは思えないわね・・・。」

ジン「この調子だと、前に話してたキス以上の関係になったとかいうのも嘘くさいな。」

ユーリ「嘘じゃないですよ!!僕は、ついにキリカさんの服を・・・!!」

キリカ「うわあああああああっ!!」

私が大声を張り上げると、さすがのユーリ君も会話を止める。信じられない・・・!!そういうことって、人に話したりするものじゃないでしょ!?

キリカ「ユーリ君のバカッ!!最低っ!!」

ユーリ「!!?・・・。」

キリカ「ネルさん、行こっ!!」

ネル「ふふっ!んじゃ、ちょっくら奥様をお借りするね!」

ユーリ「うわああああっ!!行かないでください、キリカさーーーん!!」

ユーリ君の止める声にも動じることなく、私はネルさんとリーネガイルの繁華街へ歩いて行った。ちょっとは反省してよ、もう・・・。

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02 潮風

ワタリさんともう一人のユーリ君に事情を説明し、12月の冬休みに合わせて入れ替わることになった。もう一人の私が受験生なので心配してたが、もう一人のユーリ君は『大事な時期ではありますが、後で知ったらもう一人のキリカさんは悲しむと思います。』と言ってくれたんだ。私も同じ気持ちだ。

フレイブリースの海の区からリーネガイル行きの船に乗り、3日。私は船の手すりを掴み、同じ方向を見させられていた。

ユーリ「そのまま、じっとしててくださいね!」

キリカ「う、うん・・・。」

急にユーリ君に似顔絵を描きたいと言われ、付き合うことになったのだ。この状況を楽しんでるノノカはお腹を抱えて笑いっぱなしだ。

ノノカ「ついに絵を描きだしちゃうとは・・・ユーリのキリカ好きも相当だね!」

キリカ「もー!笑い過ぎ!」

ノノカ「そのうち、家中に絵を飾りだして『船に乗ってるキリカさん、ただいま!』とか言い出して・・・!!」

キリカ「絶対にさせないから!!」

ユーリ「ノノカさん!キリカさんを怒らせないでください!表情が変わっちゃうでしょう!?」

ノノカ「はーい、はいはいはーい!!」

キリカ「ふふっ!」

ユーリ君とノノカの噛み合ってない掛け合いはいつ見ても面白い。

ユーリ「!!・・・キリカさん、今の笑った顔すごくいいです!もっとください!!」

キリカ「!!?・・・。」

ノノカ「きゃはははははっ!!ごめっ、もう無理!」

ノノカは笑い過ぎてお腹が痛いのか、上空に勢いよく飛んで行った。笑い過ぎでしょ、もう・・・。

キリカ「さっき、どうしてノノカと話してるって分かったの?」

ユーリ「表情と話し方でなんとなく分かりますよ。見えない分、知りたい気持ちが強いのかもしれません。」

ユーリ君は筆を止めることなくサラッと言ったが、私はドキッとした。潮風で、彼の髪とイヤリングが揺れる。ユーリ君は今度の誕生日で16歳・・・そのせいか妙に大人っぽさを感じる。そういえば、身長も出会った頃に比べるとかなり伸びたような・・・。

ユーリ「その表情好きです・・・。」

キリカ「!!?・・・。」

ユーリ君はスケッチブックを閉じて駆け寄り、私の手を握った。

ユーリ「今日はもう・・・船室に戻りませんか?」

キリカ「えっ!?絵は!?」

ユーリ「!!?・・・。仕上げてしまいたい気持ちもあるんですけど・・・気持ちを抑えられなくて・・・。」

キリカ「!!・・・。」

彼の高揚が伝染したように、息苦しくなる。ユーリ君は私の恥ずかしがってる表情が好きだというけど、私はそうやって言ってくれるときのユーリ君の表情が好き。でも・・・。

キリカ「絵は今しか描けないよ?」

ユーリ「!?・・・。」

ランプの光だけでやるのは非効率だ。それに・・・そう言っておかないと、ユーリ君は『絵はいいからずっと部屋にいよう』と言い出しかねない。ここは妻として、うまく夫を転がさないと・・・。

ユーリ「そうですけど・・・。」

ユーリ君は今にも泣きそうな表情をしながら俯き、力強く手を握る。ユーリ君は本当にズルい・・・。私の弱いとこ、全部知ってる。

ユーリ「!!?・・・。」

思いっきり、彼の手を引いてキスした。後で恥ずかしくなって、後悔するって分かってるのに・・・。ユーリ君は突然のことに驚いていたが、すぐ気分をよくして、私の頭を引き寄せる。

ユーリ「んんっ・・・はぁ、キリカさん・・・。」

キリカ「!!?・・・。」

ユーリ君の喘ぎの混ざったような声が、理性を狂わせる。ユーリ君・・・どうしよう、私・・・!!

ユーリ「夜は、もっとたくさん頭撫でてくださいね。」

キリカ「!!?・・・。う、うん・・・。」

彼はニコッと笑って、また絵を描いていた位置に戻った。助かったと思うべきなんだろうけど・・・心はもやもやしていた。『もっとしてほしい。』『やっぱり船室へ行こう。』理性の欠片もない言葉が喉元まで出かかってる。

キリカ「・・・ユーリ君のバカ。」

ユーリ「??・・・。ん?何か言いました?」

キリカ「ううん!何にも言ってないよ。」

ユーリ君に、いかがわしいこと考えてたって言ったらどういう反応するんだろう・・・。それだけで嫌いにならないと思うけど・・・。

 

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01 誕生日

※このお話は恋愛ノベルアプリ「KIRIKA~同じ人間がいる、もう一つの世界~」3rd Season星の区ルートのアフターストーリーです。KIRIKAの星の区ルート(有料)とメルトコンプレックスのシュウルート(有料)も併せて読むことで物語をいっそうお楽しみいただけます。
・・・

 

 

11月末、私たちが住んでいる神都フレイブリースにも冬がやってきた。人々の往来も減り、露店を営む商人たちも気温の変化とともに繁忙期に向けた商品仕入れにシフトしていく。ユーリ君もそんな商人の一人だ。この日も、秋に大量に仕入れた素材でアクセサリー作りに邁進していた。

夏にバルへ行ってからというもの、ユーリ君の商売は順調だ。精霊使いの仕事がなければ、確実に私より稼いでるに違いない。でも、ユーリ君は、護衛を極力人任せにしない。彼のお父様は仕事を優先して護衛をできなかった結果、精霊使いの妻を亡くしている。ユーリ君はお父様の辛辣な思いを知っているからこそ、同じ後悔はしたくないと心に決めているのかもしれない。

ユーリ「キリカ!僕の誕生日、何が欲しい?」

アクセサリー作りがひと段落ついたのか、彼は突拍子もなく訊いてきた。ユーリ君の誕生日は12月24日。バルで言うところのクリスマスイヴだ。その誕生日に何が欲しいって・・・訊くのは私の方なんじゃ?

ユーリ「キリカには、一番欲しがってるものをあげたいから・・・。」
キリカ「ちょっと待って!ユーリの誕生日でしょ?なんで私がプレゼントをもらう側なの?普通、逆でしょ?」
ユーリ「えっ!?もしかして、バルだと誕生日の人がプレゼントをもらうの!?」
キリカ「うん。ルカは違うの?」
ユーリ「はい!ルカでは、お世話になった人たちに今日まで生きてこられたことへの感謝の気持ちを込めてプレゼントを贈る日なんだ。」
キリカ「!!?・・・。」

そう言われてみると、誕生日は自分が生まれてきたことより周囲に感謝すべきなのかもしれない。精霊使いだと余計にそう思う。精霊使いはどこへ行くにも護衛に頼らないといけないから・・・。

キリカ「素敵な考え方だね。バルは誕生日だと、生まれてきた人が主役って感じで、周囲の人たちへの感謝の気持ちまで考えられる人はあんまりいないかな。」
ユーリ「でも、僕もキリカが生まれてきてくれて嬉しいから、お祝いしたくなる人の気持ち分かるよ!!」
キリカ「!?・・・。ありがとう。」

そんなふうに言ってくれるの、ユーリ君だけなんだけどなあ・・・。

ユーリ「そうだ!!」
キリカ「ん?」
ユーリ「僕たちの誕生日は、バルの風習とルカの風習でどっちもやろうよ!!」
キリカ「ええっ!?それってつまり・・・お互いにプレゼントを渡し合うってこと?」
ユーリ「はい!これなら、よりいっそう誕生日を満喫できるよね!」
キリカ「ははっ・・・。」

その発想はなかった。

ユーリ「話戻るけど、キリカは何が欲しい?」
キリカ「うーん・・・。」

・・・とはいえ、ユーリ君は普段から欲しいものを買ってくれるし、私も私でそこまで物欲が強い方ではない。でも、ひとつだけ叶えたい要望がある。

キリカ「欲しいものじゃないけど、冬休みにまたバルへ行きたい・・・かな?」
ユーリ「!!?・・・。キリカ、バルへ帰りたくなったの!?」
キリカ「!?・・・違うってば!要望じゃないんだけど、『もう一人の私』が一回マイラスに帰省した方がいいんじゃないかと思って・・・。」
ユーリ「!!・・・。トキ様のことですね・・・。」
キリカ「うん・・・。」

実は、エレナさん言わく、おばあちゃんの体調が優れないらしいのだ。最近は占術をしても、エレナさんしか顔を出さないし・・・。私も、トキ様のことを本当のおばあちゃんのように思ってるけど・・・やっぱりもう一人の私にも会いたいんじゃないかな?もう一人の私だって、このことを知ったらきっと・・・。

ユーリ「そうだね・・・トキ様に直接進言しても断られそうだけど、僕たちがバルへ行くために仕方なく戻ってきたことにすれば、トキ様自身も受けざるをえないからね。」
キリカ「うん!」
ユーリ「でも、キリカの欲しいものじゃない!」
キリカ「うぅ・・・!!そう言われても、すぐに出てこないし・・・ユーリ君と一緒にいられたら、特に欲しいものも・・・。」
ユーリ「!!?・・・。キリカ!!」
キリカ「うわあ!!」

ユーリ君に抱きしめられ、思わず声を上げたものの・・・内心落ち着いてる自分がいる。いくら月日が経っても、ユーリ君に求められる自分でいたいんだ。

ユーリ「僕もキリカ以上に欲しいものなんて何もないよ!!世界で一番大好・・・!!」
キリカ「!!・・・あ、ありがとう。だからね・・・欲しいものってすぐには浮かばなくて・・・。」
ユーリ「キリカは、僕以外に欲しいものはないんだよね!?僕とたくさん一緒にいられたら、それが一番なんだよね!?」
キリカ「う、うん・・・つまりは、そういうことかな?」
ユーリ「!!・・・。分かった・・・分かったよ!!僕、もっともっとキリカと一緒にいられるようにするね!!」

そう自信満々に言った後、ユーリの顔が一瞬で赤くなる。彼は俯きながら言う。

ユーリ「お風呂に一緒に入るのは恥ずかしいけど・・・キリカが望むなら僕は・・・!!」
キリカ「大丈夫!そこまでのは求めてないから!」
ユーリ「そ、そうなの?僕、キリカの幸せのためだったら、なんだってできるからね!遠慮しなくていいんだからね!」
キリカ「う、うん・・・!!」

目をキラキラさせて迫ってくるユーリ君に苦笑いするしかなかった。冗談ではなく、彼は本気で何もかも一緒を実現させようとしているに違いない。

ユーリ「バルへ行くとなると、早速ワタリさんと話して、もう一人のキリカさんともう一人の僕に話を通した方がよさそうだね。」
キリカ「うん。入れ替わった時にちょうどマイラスにいられるようにしたいから、移動日数を考えると・・・。」
ユーリ「!!・・・なら、もう準備を始めないと!」
キリカ「えっ!?でも、アクセサリーが・・・。」
ユーリ「アクセサリーなんていつでも作れるから!!今すぐワタリさんのところへ行こう!」
キリカ「うわあ!!」

ユーリ君に手を引っ張られ、私たちは寒空の中、法の区へ繰り出した。

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【再掲載】短編小説「みんなで殺せば怖くない」

短編小説を公開していたサービスが終了してしまいましたので、こちらに再掲載します。

「みんなで殺せば怖くない」は2015年に書き下ろした現代小説です。
15分~30分ぐらいで読み切れると思いますので、暇つぶしにどうぞ♪

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みんなで殺せば怖くない

大学生の江藤和香菜(えとうわかな)にとって、日々の生活をSNSにアップするのは、『身内に今日あった出来事を話す』ことぐらい日常的で当たり前のことだった。ほぼ毎日、彼女は大学であったことや、カフェで食べたスイーツや、自身のファッションコーデなどをアップしている。それをリア友や、ネットの知り合いがコメントを寄せたり、『いいね』を押したりして、投稿内容を評価する。両親が共働きで、一人っ子の和香菜にとって、誰かに存在を認められることは、嬉しくて、一人じゃないと思える瞬間だった。

 ネト充だが、リア充ではない・・・というのが口癖だった彼女にも、大学2年生になって春が訪れる。1年の時から片想いしていた佐々倉千暁(ささくらちあき)に思い切って告白し、付き合えたことだ。千暁は真面目で朗らかな青年であるが、とりわけ容姿が良いわけでも、社交的というわけでもなかった。強いて言うなら、彼はごくごく普通の大学生に比べおしゃれだ。くしゃくしゃっと軽めにかかったパーマに、有名メンズブランドのパーカー。そして、ボトムはお気に入りなのか股下が深すぎないサルエルパンツが多い。全体的にゆるい感じで、よく見ると細かいチョイスがおしゃれだというのも彼女の興味を惹いた。それはまるで、発掘した石の中から見つけた原石との出会いに近い。和香菜は見た目こそ、SNSにアップするため力を入れているが、根は地味。無意識に同じような雰囲気の人を求めていたのかもしれない。

 昼過ぎの講義中。窓の外の新緑が太陽の光でキラキラして綺麗だなと思った和香菜は、講師の目を盗んで携帯で写真を撮った。『講義室からの新緑がキレイだにゃ~(*’▽’)』早速、SNSに投稿だ。投稿し終え、誰か反応してくれないかなと満面の笑みでスマホの画面を見ていると、隣にいた和香菜の友達の小野田すみれが呆れていた。

「ここまで重症だと、和香菜はどっちがリアルか分からないね」

長い髪を指で巻きながら言うすみれに、和香菜は首を傾げた。

「どういう意味?」
「そのまんまの意味だよ。まるでSNSにアップするためにリアルがあるみたい」
「え~!そんなことないよ!」

和香菜は苦笑いで返しながら、おとなしくスマホをしまった。SNSにアップするためにリアルがあると言うすみれは、和香菜が千暁と付き合っているのをまだ知らない。SNSでも『好きな人がいるけど、告白ができないよぉ~』『絶対フラれちゃうからやめようかなぁ』と好きな人の存在を公表している彼女だが、彼氏ができたとは一切報告していないからだ。それは・・・彼氏・佐々倉千暁のSNS嫌いが起因する。告白したその日も、和香菜が千暁に「告白が成功したって、SNSで報告してもいい?」と尋ねると、「俺、プライベートさらされるの無理だから」と一蹴されてしまったのだ。和香菜は、千暁に嫌われたくないのも相まって、どこまでがダメなのか、ただ彼氏ができたと言うだけでも無理なのか・・・それすらも聞けずにいた。すぐに聞いてしまえばいいとも思うのだが、和香菜にとって千暁は初めての彼氏。ネットでは大胆な彼女も、初めての恋愛にはことさら慎重だった。

 講義が終わり、和香菜とすみれは片付けながら、人が少なくなるのを待っていた。和香菜もすみれも、人ごみにもまれながら移動するのが嫌で、大講義室での講義終わりはいつもそうしていた。この待ち時間、すみれはスマホを触っていて、和香菜は遠くにいる千暁を目で追う。千暁は仲のいい友達と笑いながら、大講義室を出ていく行列に並んでいた。和香菜と千暁はお互いに親しい友達がいた。和香菜にはすみれ、千暁には今彼の隣にいる男子に違いない。そのため、大学では友人関係を優先することにしていた。付き合いたてのカップルにしては、少し寂しい気もするが、友達のことも考えている彼を和香菜はかっこいいと思っていた。惚れた弱みかもしれない。じーっと見てると、千暁の視線が彼女に向けられ、ピタリと合った。お互い顔を真っ赤にさせ、反射的に顔を逸らしたが、程なくして微笑み返した。彼女は、遠くにいても彼と意識し合っていることが分かるだけで嬉しかった。
 その時、大講義室のマイクから彼女の名前が響く。

 「江藤和香菜さん!」

 和香菜は意表をつかれたように、前を見た。すると、教壇の前にマイクを持った飯塚拓斗(いいづかたくと)がこちらを見ていた。飯塚拓斗は、和香菜と同じ法学部の男子であり、千暁とは正反対の社交的なイケメン。少女漫画から切り出したような綺麗な瞳が印象的で、ジレやベストに7分丈のカーゴパンツを合わせるコーデが多い。ジレは失敗するコーデとして名高いが、拓斗の場合、持ち前の容姿があるため普通に着こなしている。飯塚拓斗は緊張した面持ちで続ける。

 「もし良かったら、俺と付き合ってください!!」

 拓斗の言葉に、騒々しかった大講義室内の空気がピンと張りつめ、みんなが和香菜に注目した。恥ずかしさと、緊張と、恐怖で狼狽えそうになる。すると、後押しするようにすみれに背中を叩かれた。

 「どうするの?答えないと」
 「う、うん・・・そうなんだけど・・・」
 「私が代わりに答えようか?おっけーでーすって!」
 「!!?・・・やめてよ!」

 紛らわしいことをしないでほしい、と彼女は思った。なぜなら、この様子を千暁も見ているのだ。恥ずかしくても、ちゃんと大きな声で断わらなければならない。それに、千暁だけには誤解されたくなかった。和香菜は震えながら、なんとか立ち上がり、思い切って叫んだ。

 「ごめんなさい!」

 この一言を言うだけで精一杯だった。彼女は言い終えると、すぐに座り込んで俯いた。SNSにアップする絶好のネタではあるが、さすがの彼女もこのことを投稿する気分にはなれない。大講義室のサプライズ告白の結末を見届けると、学生たちは興味が冷めたように張りつめた空気を緩ませた。しかし、すみれだけは「嘘、なんで!?」と和香菜が拓斗の告白を断ったことが腑に落ちない様子だった。女子がみんな、イケメンを好きなわけじゃないのに・・・と彼女は思ったが、返す気にはなれなかった。

 講義が終わって、自宅マンションへ帰ると、千暁からメッセージが届いた。

 『飯塚君には悪いけど、嬉しかった』

 見た瞬間、彼女の心拍数が上がった。千暁に嬉しいと言われたのは、これが初めてだった。告白した時は『嬉しい』ではなく『俺でいいの?』だったし、手をつないでも顔を赤くするだけで何も言ってくれなかった。和香菜はすぐに返信せず、千暁のくれたメッセージの余韻にひたっていた。気分よく、鼻歌を歌いながら、誰もいないリビングのソファにカバンを置く。ダイニングテーブルには『カレーをあっためて食べて。今夜も遅くなりそう。ママ』と走り書きしたメモ書きが置いてあった。いつもは「またカレー・・・」と不機嫌になる和香菜だが、今日は気分がいいので全く気にならない。喉が渇いたので、冷蔵庫からミネラルウォーターを出して、コップに注いだ。途中で、和香菜のスマホの通知音が鳴る。彼女は水を一気に飲み干すと、急いでスマホの通知をチェックする。SNSからのコメント通知だ。

 『こいつ、講義中に写真撮ってやがるwww』

 今日、講義中に撮った新緑風景に心無いコメントがされていた。嫌な汗が出て、嬉しい気分は一気に冷める。なんで講義中って分かったんだろう・・・同じ大学の人?私が撮影するとこ、見てたのかな・・・。和香菜が不審に思っていると、さらに通知が届いた。

 『これ店内ですよね?商品の撮影許可とってますか?』

 今度は数週間前に撮った写真つき投稿にコメントがついていた。しかし、さっきとは全く別の人だった。確かに店内の撮影だけど、この商品は購入したんだし、いいじゃない・・・フォロワーでもないのに、いちいちうざいなあ・・・。彼女は苛立ちながら『店内ですが、購入したものです。』と返信した。しかし、彼女からの返信があったせいか、コメントしたユーザーは『店内撮影の許可はとったんですか?』と返し、その他の写真にも細かくダメ出しをしてきた。それはまるで、重箱の隅をつつく小姑のようでもあり、道端で偶然ぶつかってしまった質(たち)の悪いお兄さんのようにも感じた。和香菜は、対応するのが面倒になり、コメントしたユーザーをブロックした。
 とりあえず、これで大丈夫だろう・・・和香菜はまた妙な輩に絡まれたくないと思い、先ほど指摘を受けた写真を削除した。しかし、10分後・・・また別のアカウントからコメントが返ってくる。

 『消せば済むと思ってるんですかあ?消せば何もかも許されるんですかあ?』

 和香菜は、思わずスマホを落とした。なんで、ここまで言われなくちゃいけないの?確かに講義中に写真撮ったり、店内で撮影したりはよくなかったけど・・・お店の人でもないのに、ここまで言われる筋合いないし!彼女は、このユーザーもブロックした。

 しかし、ブロックしても、しても、しても・・・和香菜のSNSへの批判は相次いだ。数日経てば終わると思っていたが、収束の一途をたどるどころか、日に日に過激になる一方だ。今までの和香菜にとって、コメントの通知音は『幸せの効果音』だった。しかし、今はもう・・・恐怖でしかなくなってしまい、通知自体を切ってしまっていた。
 2週間後。大学を休みたいと言い出した和香菜を心配して、千暁が彼女の家にやってきた。彼女は、いきなり始まった批判の嵐と、自分の生きる活力であるSNSを奪われ、精神的に滅入ってしまっていたのだ。なんとか、千暁にSNSが原因で大学を休むと悟られないよう、彼女は気丈に振る舞うが・・・風前の灯。千暁が本題に触れると、彼女の火はあっさり立ち消え、わんわん泣きだしてしまった。

「もう大学に行きたくない・・・。消えちゃいたいよ・・・!!」

 和香菜は、ソファに座る千暁の膝にすがるように泣きついた。落ち込んでいるとは思っていたが、まさかここまで深刻だとは考えてもみなかったようで・・・千暁はかける言葉に悩んでいた。数分経って、彼は和香菜の背中をさすりながら、落ち着いた声で窺(うかが)う。

「俺は何を聞いても、和香菜の味方でいるから全部話して?」

 そう言われても、和香菜には躊躇いがあった。彼はSNS嫌いだ。こんなことで悩んでるのかと一蹴されるかもしれない。

「千暁君の嫌いな・・・SNSのことだよ。それでもいいの?」

 千暁はふっ、と笑う。

「SNSの『嫌い』より、和香菜を『好き』の方がはるかに上だよ」

 千暁は優しい表情で、和香菜の頭を撫でた。彼女は嬉しくて、彼に抱きついた。もっと早く相談すればよかった、と彼女は思った。

 和香菜は一通り事情を話し、SNSに寄せられた批判を千暁に包み隠さず見せた。千暁は黙って見ていたが、徐々に表情が青ざめていく。

「どうして、もっと早く相談してくれなかったんだよ!」
「!!・・・ごめん。千暁君に嫌われたくなかったから・・・」

 千暁に強く言われ、和香菜が涙ぐむと、彼はそれ以上彼女を責めなかった。逆に、思わず大きな声を出した自分責めるように膝を叩く。

「いや・・・俺の方こそごめん。こんなことになってるとは知らなくて・・・」
「!!?・・・千暁君は悪くない!!・・・悪いのは全部私・・・私なんだよ!!」

 また泣き出す和香菜を千暁は支え、肩に手をかけた。

「今すぐ和香菜のSNSは非公開にしよう。なくなってしまえば、こいつらも叩きようがないんだし」
「!?・・・うん」

 和香菜は千暁の勧めで、SNSを非公開にした。でも、もう公開することはないだろう。SNSで酷い目に遭ったからという理由が一番大きいが、それだけではない。千暁が話を聞いてくれる、存在を認めてくれる、好きだと言ってくれる・・・SNSをすることで補填してきた愛情を彼が与えてくれると彼女は気づいたんだ。

 和香菜のSNSが非公開となり、批判する場はなくなったかと思われた。しかし、和香菜がアップしていた写真はすでに不特定多数のネットの住民に出回り、確保されていた。非公開にしても、悪さをする奴らには不可抗力でしかなかったのだ。しかも、和香菜はファッションコーデをアップしたり、大学風景をアップしたりしていた・・・和香菜のSNSが親しい友人以外にも『和香菜』だと特定されるのはあっという間だった。

そう・・・SNSという批判の舞台が、大学の裏掲示板に移っただけに過ぎなかったのだ。
 
このことに先に気づいたのは、和香菜だった。和香菜はSNSを非公開にしたものの、度々怖いもの見たさでエゴサーチしていたのだ。そして、大学の裏掲示板の存在に気づき、自分がアップした写真はもちろん、身に覚えのない写真までアップされていることを知った。身に覚えのない写真は、すべて盗撮だった。中には和香菜の実際の住所を投稿したり、着ぐるみと顔写真を加工させて、吹き出しからは『法学部だけど、法律のことよくわからなーい!』と揶揄されたのもまであった。これを見た和香菜は、リビングで悲鳴を上げ頭を抱えた。消しても、消しても、消しても・・・叩く人が消えない。こんな写真が出回っていたら、就活をしても、どこからも内定をもらえないだろう。友達も逃げていくだろう。現に、すみれはSNSでの批判が酷くなったあたりから、距離を置いたっきりだ。ネットではまだ千暁が彼氏だってバレていないが、時間の問題だろう。
 でも、どうしたらいいか分からなかった。彼女は法学部なので、SNSでのトラブルを立証するのが難しいのも、調査するのに莫大な費用がかかることも知っている。それに、和香菜の家は共働きだ。莫大な費用どころか、和香菜の大学費用を払うだけで精一杯だった。もう嫌だ・・・本当に消えちゃいたいよ・・・。彼女がソファで人生を悲観していると、ドアが開く音がした。ハイヒールの音がしたので、ママだろうと和香菜は察しがついた。いつもより早い帰宅だった。ママに相談したほうがいいのかもしれない・・・。和香菜はソファを立ち上がり、ママを出迎えようとリビングの扉の前へ歩いてく。勢いよく扉が開き、和香菜はすぐママに話しかけた。

 「おかえり、ママ。あのね・・・」

 和香菜がそう言いかけた声をかき消すように、ママは溜まっていた怒りを彼女にぶつけた。

 「和香菜!!大学の先生から連絡があったわよ!!講義中に盗撮したり、大学の先生の誹謗中傷をSNSに書き込んでるんだって!?ママ、それ聞いてびっくりしちゃったわよ!!」
 「!!?・・・。」

 盗撮なんかしてない・・・私が撮ったのは、窓の外の新緑だよ?大学の先生の誹謗中傷なんて書きこんだ覚えないよ!!彼女はあらぬ濡れ衣を着せられ、狼狽しながらも首を振りながら反論する。

 「違う!!私じゃない!!聞いて、ママ!!あのね・・・!!」
 「事実と違うとか、違わないとか・・・ママね、そんなことはどうでもいいの!」

 え・・・。どうでもいいの?和香菜は、頭がクラッとした。娘が本当に犯罪を犯していたのかどうかは、どうでもいいの?そんな彼女の様子も気に留めず、ママは続ける。

 「さっき検索したけど、掲示板にうちの住所まで晒されてるじゃない!!和香菜には分からないかもしれなけど、社会に出たらこういうことで職を失ったり、左遷されたりするのよ!!ママとパパがお仕事できなくなっちゃったら、和香菜だって大学通えなくなるのよ!?分かってる!?」

 間髪入れず、一気に言われ、和香菜の目から涙が溢れた。ねぇ、ママ・・・私、もう大学生だよ・・・通ってるの法学部だよ・・・それくらい分かってるよ・・・。いつまでも子供じゃないよ・・・。一体、何歳だと思ってるの?喉元まで出かかったが、言えなかった。和香菜は、両親が自分を大学へ行かせるために頑張って働いていることを知っている。

 「ほらー!!あなたって子は、泣けば済むと思って!!」

 ママが何気なく言った一言が、SNSで嫌というほど見た書き込みとダブる。

 『消せば済むと思ってるんですかあ?消せば何もかも許されるんですかあ?』

 消せば済むとも、泣けば済むとも思ってないよ・・・。どうしたらみんな分かってくれるの?許してくれるの?・・・・・・。・・・あ、そっか・・・私自身が消えちゃえばいいんだ。私が消えちゃったら、みんなさすがに叩けないよね・・・。私が、全部全部、悪いんだもん・・・。

和香菜はママの言うことを無視して、窓を開け、ベランダの手すりによじ登って飛び降りた。8階だった。

 『今日夕方5時頃、○○市△△区のマンションで女子大学生の江藤和香菜さん(19)が8階の自宅から飛び降り亡くなりました。警察の調べによりますと、和香菜さんは数か月前からネットで相次ぐ批判に悩んでおり、いじめが原因による自殺ではないかと見て捜査を進めています。』

 千暁が和香菜の死を知ったのは、バイトから帰って来た後、遅めの夕食を食べながら見ていたTVニュースだった。持っていた箸が落ちて、手が震えた。彼はいてもたってもいられず、財布とスマホだけ持って、和香菜の家へ向かった。
彼女が命を絶ったマンション近くには、夜10時過ぎでも警察と報道陣がいた。彼が警察に和香菜の両親に会いたいと告げると、警察はいじめの主犯格を疑うかのような眼差しで名前を尋ねた。彼は、「和香菜の恋人です」ときっぱり答えた。すると、いくつか聞きたいこともあるので、署へ送っていこうと30代前半ぐらいの捜査員の男が名乗り上げた。
 車内では、定例的なお悔やみの言葉の後、和香菜との関係や、彼女がネットでいじめを受けていたことを知っていたか、彼女を批判する人間に心当たりはあるか・・・など一通り聞かれた。千暁はすべて正直に答えた。その後、捜査員は捜査資料を見直しながら質問を続ける。

 「非公開設定にされていた彼女のSNSに好きな人の存在をうかがわせる投稿はありますが、はっきり彼氏と明言したものがありません。どうしてかご存じですか?」

 彼は驚き、なぜ投稿しなかったんだろう・・・と考えた。自分のプライベートを晒されるのは嫌だと言ったが、彼氏がいると言ってはいけないとまで言った覚えはないのに・・・。捜査員が怪しむように窺ってくるので、彼は何か答えないとと思い、慌てて答えた。

 「僕がSNSを嫌いだと言ったので、気にして書き込まなかったんだと思います」

 捜査員は「なるほど」と一言いって、自身の手帳に書き込んだ。千暁はなんとなく犯人だと疑われているような気持ちになったが、それでもよかった。付き合っていたのに、和香菜の苦しみに気づいてあげられなかった自分も、犯人なのかもしれない。彼は、自分を酷く責めていた。

 和香菜の両親は、警察署の霊安室の前にいた。和香菜の母親が魂が抜けたのかのようにパイプ椅子に座り、憔悴しきっている。父親は、こんなときでも仕事があるのだろう・・・霊安室から離れた窓際で、電話をしていた。彼は和香菜の母親に頭を下げる。憔悴しきっていた母親も、彼の存在に気づき、「あなたは?」と今にも消えそうな声でたずねてきた。

 「和香菜さんと同じ学部の佐々倉千暁と申します。和香菜さんとお付き合いしていました。」

 千暁がそう言うと、和香菜の母親の目に光が宿った。希望ではなく、憤りの目だ。母親は、千暁の肩を左手で掴み、右手で彼の胸板を叩く。

 「あなた、和香菜と付き合ってたのに、なんで気づかなかったの!?どうして支えてくれなかったの!?」

 ドス、ドス・・・何度も重く叩く彼女の母親の手に、千暁の胸が痛んだ。ナイフで何度も刺されているような気分だった。なんで気づかなかったの・・・その通りだと思った。どうして支えてくれなかったの・・・その通りだと思った。和香菜のSNSを非公開にして、すべてが終わる、快方に向かうと信じ切っていた。彼は、そう信じ切っていた過去の自分を恨んだ。
 途中で、和香菜の母親が叫ぶ声に気づき、慌てて彼女の父親がこちらへ駆け寄ってきて止めに入った。

 「何を馬鹿なことを!辛い思いをしてるのは彼も一緒だろう!・・・すみません。家内はこの通り、混乱していて・・・どうか許してください」

 思いの外、彼女の父親は冷静だった。悲しくないわけではないが、家内が狼狽えて何もできない以上、自分がしっかりしなければならないと気丈に振る舞っているようにも見えた。父親に言いすくめられると、母親は父親の胸で泣き出した。

 「分かってるの・・・彼が悪いわけじゃないの・・・悪いのは全部私なのよ!!私が、あの子の気持ちを聞こうとせずに、責め立てたから・・・!!」

 『悪いのは全部私なのよ』・・・その言葉を聞いて、千暁は和香菜の母親らしい言葉だと思った。彼女も、ネットで必要以上に叩かれた原因は、自分が悪い事をしたからだと、責めていた。・・・・・。ふと、自分の存在が彼女の母親を追い詰めないか不安になる。

 「いきなり押しかけてすみませんでした。今日のところは帰ります。」

 彼は和香菜の両親に一礼して、立ち去ろうとした。しかし、すぐに彼女の父親に止められた。そして、母親をパイプ椅子に再び座らせると、少し離れたところで話し始めた。

 「君は、和香菜がネットでいじめを受けていたことを知っていたのかい?」

 知っていたと答えたら、殴られるかもしれないと思ったが・・・それでもいいと思って、歯を食いしばりながら彼は答える。

 「はい」

 しかし、父親は「そうか・・・」と答え、宙を見た。殴りかかる気配はなさそうだ。父親は続ける。

 「どのくらい付き合っていたんだね?」思いも寄らない質問に、千暁は慌てて答える。
 「4カ月ぐらい・・・です」
 
 「そうか・・・」と言って、また父親は宙を見た。まるで、そこに和香菜がいて、彼女の意志を尊重して言葉を選んでいるかのようだ。

 「難しいとは思うが・・・和香菜のことは忘れてくれ。忘れて・・・残りの大学生活、悔いのないようにな」

 嘘だ、と千暁は思った。本当は、忘れてほしくない、ずっと覚えててほしいと言いたいが、自分の今後を気遣って言ってくれたに違いない、と。千暁は「忘れません」と答えたかったが、それすらもこの両親を責める言葉にならないか、考えた。娘が自殺して、その彼氏の人生までも不幸にしてしまった・・・二重の苦しみを背負わせてしまっているのではないか、と。
 彼は何も言わず深々と一礼し、その場を去った。後で、霊安室に眠る和香菜の所へ行っていないと思い出したが、戻る気になれなかった。8階から飛び降りての自殺。損傷もひどいに違いない。彼は、自分の中で笑っている和香菜のイメージを崩したくなかった。

 和香菜が自殺したのをキッカケに、ネットの住民たちは態度を翻していた。ネットはまだまだ責任のない社会である。コラ画像を作って追い詰めていた人も、実際の住所をアップした人も、友人を特定して顔写真を晒した人も、彼女が自殺したと分かれば、途端に痕跡を消して、「お前らが叩きすぎるから、こうなるんだよ!人殺し!」とまるで自分には全く非がなかったように振る舞うことができる。また、少なからず罪の意識を感じて自白するものもいた。

 『みんな叩いてるし、いいかなという軽い気持ちだったと思う。本当にごめんなさい。』

 でも、こういう発言は一番危険な行為だ。こいつを叩けば、正義のヒーローにでもなれると勘違いしたユーザーや、新しいターゲットが出てきたと喜ぶユーザーの格好の餌食だ。

 『謝れば済むと思ってるんですかあ?亡くなった人は戻ってこないんですよ?分かってますかあ?』
 『こんなところで謝ってないで、遺族に謝罪に行けよ』
 『適当に謝って許されたいんですよね。分かりますww』

 あっという間に炎上した。そして、数十時間後に叩かれたアカウントが削除された。こういうことは、今のSNS社会では日常茶飯事だ。

警察は和香菜の自殺をネットいじめによるものと判断したが、いじめの主犯格の名前が挙がってくることはなかった。警察も他殺となれば、犯人を追及するのだろうが、自殺となると扱いは冷たい。いや、冷たいというのもこちら側の勝手な言い分なのだろう。犯罪は数えきれないほどあり、税金で賄われている。犯人がいない事件にお金をかけて捜査しろというのも傲慢なような気もした。・・・・・・。もう、自分で調べて明らかにするしか方法はないのだと千暁は思った。

千暁はSNS嫌いだったが、和香菜の死をキッカケに目を通すようになっていた。誰が和香菜をいじめていたのか、正体を突き止めたかったからだ。でも、追えば追うほどに容疑者の数が膨大であることを知る。大学関係者だけでなく、全く関係のない人たちまで和香菜の『叩き』に参加していたからだ。しかも、裁判沙汰にしようとしても、和香菜の使っていたSNSの履歴を開示請求できるのはせいぜい2か月前までらしい。和香菜のいじめの発端となった『叩き』が始まったのは、千暁と付き合いたての頃・・・すでに4カ月が過ぎていた。
 何か突破口はないものか・・・そう考えた時、彼には1つの疑問が浮かんだ。なぜ、和香菜はあそこまで叩かれなければならなかったのか・・・だ。店内の無許可での商品撮影、講義中の写真撮影、その他にもルールを破ったものはいくつかあるが・・・どれも『そこまで?』と思えるものばかりだった。不可解な謎はそれだけではない。和香菜がSNSをはじめたのは小学生の時からで、フォロワーも多くはない・・・誰かが今になって、故意に和香菜を『叩き』のターゲットに祭り上げたとしか思えないのだ。そう考えていくと・・・千暁には一人だけ心当たりがある人物がいた。和香菜が落ち込みだした時期にあった出来事・・・そう、飯塚拓斗の大講義室でのサプライズ告白だ。あれ以来、和香菜と拓斗に接点はなかったが、もしかしたら彼がフラれた腹いせに和香菜のSNSに批判を寄せたのかもしれない。千暁はスマホを手に取った。

3日後。千暁はキャンパスの中庭で拓斗から話を聞けることになった。証拠となる証言をするかもしれないと思い、ボイスレコーダーもポケットに忍ばせた。しかし、千暁が「江藤さんのことで・・・」と切り出すと、拓斗は辟易した様子で「俺だって被害者なんだ!」と訴えてきた。拓斗の話によると、彼が和香菜にサプライズ告白をした日と、和香菜のSNSに批判が集中した日が同日だったことから、彼がやったんじゃないかと大学の裏掲示板で噂になったことがあったらしいのだ。

 「フラれてSNS批判してたら、俺だって言ってるようなもんじゃん!そんな馬鹿じゃねーっつーの!」

 千暁だけでなく、警察にも同じようなことを聞かれたらしく、拓斗は相当苛立っているようだった。この時、自分と同じように考え、警察も動いていたのかと思うと、所詮自分にできることは警察と同レベルまたはそれ以下のことでしかないのかもしれないと彼は思った。千暁が俯いていると、拓斗は言い過ぎたかと思ったように、謝った。

 「悪い!同じようなこと何度も訊かれて、イライラしてた」
 「いや、俺の方こそ・・・そうとは知らずにすまない」

 お互いに謝ると、少しの間沈黙した。警察の捜査も入ってるし、拓斗の言う通り、フラれてSNS批判したら疑われることぐらい察しがつくだろう。彼はポケットの中に入っていたボイスレコーダーの録音を切った。

 「急に呼び出してごめんな・・・話してくれてありがとう」

 彼はすぐに立ち去ろうとしたが、拓斗に「あのさ!」と呼び止められた。千暁が振り返ると、拓斗は首を傾げながら言う。

 「佐々倉、江藤さんの友達?まさか親戚!?・・・なわけないか!」

 拓斗は自分でツッコミながら頭を掻いた。なぜか拓斗の口からは、『彼氏』の候補は出てこなかった。それは、千暁自身もなんとなく察していた。和香菜は極度のSNS好きだったが、明るくて、可愛くて、モテる女子だ。ルックスも、社交性もない自分が彼氏だとは想像もつかなかったのだろう。千暁は自嘲気味に言った。

 「和香菜の彼氏だよ」

 拓斗は目をぱちくりさせながら、「え・・・ええ!!?ええええええー!!?」と叫んだ。千暁が予想した通りの反応だった。

 「不釣合いだよな。分かってる。和香菜から告白された時の俺も内心そんな感じだった」
 「・・・・・・・。あ、いや・・・。」

 拓斗は頭を抱えながら、「ははは・・・」と壊れたおもちゃのように笑っていた。千暁が和香菜と付き合っていたのが余程ショックだったのか、拓斗の現在の心境が、彼にはいまいちつかめなかった。

 「悪い悪い・・・なんつーか、その・・・これは誰にも言わないで欲しいんだけどさ・・・」拓斗は頭を掻いて、顔を真っ赤にしながら続ける。「あの日の告白・・・俺的には100%上手くいくと思って、告白したんだよ」
 「ええ!?」

 意味が分からなかった。和香菜と俺は付き合っていたし、100%フラれるならまだしも、100%上手くいくって・・・。要するに、拓斗のルックスを持ってすれば、相手に彼氏がいようがいまいが関係ないということか?千暁の頭の中で、疑心と苛立ちが渦を巻く。

 「江藤さんのSNSを前から知ってて・・・好きな人のこともけっこう書いててさ・・・友達に見せたら、絶対に俺のことだって言うから思い込んでて・・・。」
 「なっ・・・!!」

 拓斗の思いも寄らぬカミングアウト以来、千暁は彼と意気投合した。拓斗もいじめを仕掛けた人間じゃないにしろ、自分のせいかもという不安が残っているため、和香菜を『叩き』の舞台に祭り上げた犯人を一緒に探したいと申し出てくれたのだ。この日も講義が終わった後、拓斗から話があると呼ばれていた。拓斗は恥ずかしそうに「参考になると思うし、お前は目を通したほうがいい」と自分のスマホを見せてきた。そこには、彼女のSNSのスクリーンショットが何枚か保存されていた。彼女が自分に好意があるかを、友達に確認してもらうために何枚か撮っておいたのだという。千暁は少しだけ拓斗が気持ち悪く感じたが、そっと胸の中にしまった。彼は、拓斗のスマホ画面に映る彼女のSNSに目を通す。

 『どうしよう・・・恋に落ちちゃったかも!!!!リアルで胸キュン♡なんて久しぶりだよぉ(*ノωノ)』
 『今日も会えた!講義中に頬杖ついてる横顔が超かっこいいんだぁ( *´艸`)』
 『彼女いるのかなあ?かっこいいし、いるかもしれない・・・でも見てるだけで幸せ♡♥♡』
 『うーんとね、さわやか系!いっつもクールなんだけど、たまに笑うとギャップで死ぬっ(●^o^●)』
 『好きな人がいるけど、告白ができないよぉ~(ノД`)・゜・。』
 『壁ドンと顎くいされたい・・・(*ノωノ)』
 『告白してフラれちゃうぐらいなら今のままのがいいかなぁ?傷つきたくないよぉ・・・。』
『絶対フラれちゃうからやめようかなぁ。。。。』

 読んでて、自分のことだと思うと彼は赤面せずにはいられなかった。今になって、和香菜が本気で好きでいてくれたんだと実感が湧いてくる。湧いてくればくるほど、悔しく・・・その悔しさは彼の中で、徐々に怒りや憎しみへと姿を変えていく。

 和香菜の死から2か月後。拓斗の人脈を駆使して、飲み会が開催された。提案したのは、意外にも千暁だった。お酒が入れば、何かしゃべるかもしれないし、主犯格の正体も分かるかもしれないと思ったのだ。この日も、何食わぬ顔でポケットに忍ばせたボイスレコーダーのスイッチを入れる。前は、拓斗の証言を録音するだけでも罪悪感に駆られる気持ちがあった彼も、今はさほど感じなくなってきていた。犯人は顔も名前も晒さずに和香菜を自殺に追い込んだのだ。そんな奴相手に手段を選ぶ必要はない・・・というのが彼の今の考えだった。
 飲み会には40人近く出席していた。1時間ぐらい経つと、徐々に酔いが回ってきはじめ、千暁は頃合いを見て和香菜の話題を振った。

 「江藤さんの自殺、ショックだったよな・・・みんなどう思う?」

 千暁に話題を振られた人たちは、今まで笑い転げていたのにピタリと止んだ。酔っていてもさすがに人の死を持ち出されると、軽く扱うのを躊躇うのが窺えた。

 「ニュースで見たけど、ネットに誹謗中傷書かれまくってたんだよね・・・本当、許せないよ・・・。」

 近くにいた眼鏡をかけた女子が言った。それに続き、隣にいた天パの男子が口を開く。

 「誹謗中傷をネットに書き込む奴らの気がしれないし・・・そいつらが何も制裁を受けずに今もまた誰かの誹謗中傷を書き込んでると思うとやるせないよ」

 千暁は「だよな・・・」と相槌を打った。聞き出すのは作戦の一つなのだが、自分と同じ気持ちを持つ人たちがいると知ると、傷口に塗り薬を塗るように癒された。その時、急に拓斗が彼の背中にのしかかってくる。

 「けどさ、誹謗中傷書き込まれたぐらいで死んでたら、今の時代生きていけねーぜ!?・・・こう言っちゃなんだけど、自業自得だとも思うよ」
 「なっ・・・!!お前・・・!!」

 千暁は不快感を露わにして、拓斗を見たが、彼はこちらを見てウインクした。そして、後ろから千暁に耳打ちする。

 「犯人がいたとしたら、江藤さんを『叩く空気』にのってくるはずだ。まずは餌でおびき寄せってね」

 サプライズ告白といい、思い込みといい・・・拓斗はさほど頭がよくないと思っていた彼だが、この一言を聞いてイメージが変わった。急に飲み会を開いて、これだけの人を集めてしまうぐらいだ。持前のコミュニケーション能力だけでなく、話運びも上手く思えた。
 拓斗の企んだ通り、和香菜の自殺をめぐる論争はヒートアップしていた。最初は、彼女に擁護的な意見が多かったが、拓斗が反対意見を出し続けると、次第に形成が変わっていく。

『どうして誰にも相談しなかったんだ?』
『注意が誹謗中傷になったら、誰も何も言えなくなる!』
『自殺したって何の解決にもならないのに・・』
『法学部に通ってて、あの投稿の仕方はない』
『悪いことして、非難されたら死ぬって・・・ちょっとね・・・』
『可愛かったけど、SNS依存すごいらしいし、本人の性格にも問題あったんじゃない?』
『つか、親が無能すぎ!あれだけ娘が叩かれてるのに気づかないとかさ!』

 拓斗の言っていた『叩く空気』が確かに存在していた。声の掲示板を見ているような気さえした。千暁は吐き気がした。和香菜がどれだけ苦しんでいたか知らないのに、適当なことばかり・・・彼は履いていたサルエルパンツの裾絞り部分を力強く握りしめ、怒りを押し殺した。
 一通り意見が出そろったと思われる頃、拓斗がまた空気を変える。

 「なあ、この中に大学の裏掲示板に江藤さんのこと書き込んだ奴いる!?」

 さすがにその質問には、みんな静まり返った。いきなり直接的すぎるだろ、と千暁は不安そうな顔で拓斗を見た。すると、彼は続けてこう言った。

 「ちなみに俺、ちょっと書き込んだ!フラれてすぐは書き込まなかったけど、やっぱちょっとな!」

 拓斗がおどけながら言うと、周囲は責めるどころか、笑い始めた。そして、途端にハードルが下がったのか、暴露大会が勃発する。

 『マジか!実は俺も!いっつもスマホ持ってニヤついててキメェ!って書き込んだ!』
 『書き込みはしないけど、拡散はしたかな』
 『コラ画像作って投稿してるの、俺のダチ。さすがに自殺したって知って慌てて消したらしいけど』
 『顔写真まずかったんじゃないの?ニュースでも問題になってたよ!』
 『SNSで本人が晒してた顔だぜ?嫌ならアップするなよって話だろ』
 『バーカ。普通に名誉棄損だって。訴えられたら終わり』
 『ま、訴えるまでしないだろ!コラ画像なんか大量に出回ってたし、全員訴えてたらキリないっての!』

人の笑い声がここまで不快に感じたのは初めてだった。話はどんどんエスカレートして、隣にいた眼鏡の女の子が「実はちょっとだけ書き込んだ・・・」と言い出した時、彼は青ざめた。最初に許せないと言っていたくせに・・・!!裾を握りしめてるだけでは処理できない怒りが、表情に出た。しかし、みんないい感じに酔っぱらってて、千暁の表情など気にも留めていない。千暁は気づいた。今までは最初に『叩き』の舞台に祭り上げた人間が悪いと思っていたが、そうじゃない・・・和香菜は、こいつらに・・・みんなに殺されたんだ、と。

 飲み会が終わった後、二次会には参加せず千暁は人気のない公園でベンチに座り、一人で録音した飲み会の声を動画サイトにアップしようとしていた。説明文には飲み会に参加したメンバーで和香菜の悪口を言っていた奴らの名前を記載した。思わず笑みがこぼれる。みんなで殺せば怖くないんだよなあ?だったら、お前らも同じように方法で苦しめてやる。和香菜の苦しみを味わうがいい!!彼は死刑を執行するかのように、右手を勢いよく振り上げアップロードのボタンをタップしようとした。しかし、振り上げた右手は誰かに掴まれた。振り向くと後ろには、彼を哀れんだ目で見る拓斗がいた。

 「様子がおかしいと思って後つけてみたら・・・何しようとしてるんだよ!分かってるのか!?」

 それでも、千暁は拓斗の手を振り払い、アップロードのボタンをタップしようとする。拓斗は彼の左腕を掴み、スマホを奪い取ろうと手を伸ばす。彼は抵抗したが、拓斗に腕を捻られ、手からスマホが落ちた。すかさず、拓斗は彼のスマホを蹴り飛ばす。彼は苛立って、拓斗の胸倉を掴んだ。

 「なんで止めるんだよ!!法が裁いてくれないなら、誰があいつらに制裁を与えられるんだ!!俺しかいないだろ!!俺が和香菜の無念を・・・!!」
 「江藤さんのため?冗談抜かせよ。自分のためだろ?」

 千暁はカッとなって、拓斗を殴った。しかし、拓斗は怯まない。強い眼力で、彼を威嚇するように見ている。初めて人を殴った彼は、自分のしたことと、手の痛みに狼狽えていた。

 「殴ってスッキリしたか?・・・スッキリしないだろ?動画をアップしても同じだ。罪悪感に苛まれるだけだ」
 「苛まれるもんか!この動画をアップすれば和香菜も、和香菜の両親も手を叩いて喜ぶよ!!警察の代わりによくやったって・・・!!」

 彼が話している途中で、拓斗の拳が彼の右頬をとらえた。油断していた彼は、地面に突き飛ばされる。彼が起き上がろうとすると、今度は拓斗が彼の胸倉を掴んで言う。

「誰かに叩いてもらって、その中の一人でも自殺してくれたら江藤さんは喜ぶか!?自殺した奴の親や友達や恋人を悲しませても、江藤さんの両親は喜ぶのか!?・・・喜ばねーだろ!!」
 「!!・・・。」

 拓斗にまくしたてられるように言われ、彼は身体をビクッと震わせた。先ほど、拓斗が言った言葉が蘇る。『江藤さんのため?冗談抜かせ。自分のためだろ?』・・・自分のために違いなかった。和香菜を追い詰めた人たちに制裁を下すのが使命のように感じていた。誰からも・・・ましてや、彼女から言われたわけでもないのに・・・。拓斗は、彼のスマホを拾いに行き、動画を消した。その後、彼にスマホを返しながらしゃがみ込んで言う。

「俺たちのやるべきことは、江藤さんの死を免罪符にするんじゃなくて、無駄にしないことなんじゃないか?復讐に時間費やしてる暇なんかねーぞ!江藤さんだって、きっと天国で言ってる!千暁を犯罪者にするために命を絶ったんじゃないってな」

 千暁の目から涙がどっとあふれた。それはまるで、ずっと塞き止めていた川の仕切りを取り外したかのように。

「和香菜ぁーーー!!!ごめん、俺・・・俺!!」

彼は箍が外れたように、泣き出した。辛かったのに、気づいてあげられなくて・・・そばにいてあげれなくてごめん・・・。そう言いたかったが、嗚咽でまともに言えなかった。彼は心から制裁を望んでいたのではない。彼の心の奥の奥にあったのは、一つだけ・・・そう、彼はただ、彼女に許されたかったのだ。

 千暁と拓斗はその後、二次会が行われているカラオケへ足を運んだ。そして、拓斗はさっきの1次会でのやり取りが和香菜の追い詰めた犯人を捜すために仕向けたことだったと発表した。みんな、拓斗に不信感を顕わにしたが、彼が自分のせいで彼女がいじめられるキッカケを作ってしまったのかもしれないとう心境を吐露すると空気が徐々に変わった。それからは、暴露大会ではなく、懺悔大会だった。眼鏡をかけていた女子は泣き出し、友達がコラ画像のアップ主だという男子はその場で電話をかけ「二度とするな!」と怒鳴った。千暁はその一部始終を見て、拓斗という男を慕って作られる『この空気』こそが和香菜を追い詰めた犯人なのではないかと思った。だからといって「犯人は拓斗だ!」と言う気にはなれない。彼自身は誹謗中傷を書き込んでないし、殺意もないのだ。
 でも、仮にもし拓斗が故意に『この空気』を操り、彼女を追い詰めていたのだとしたら・・・完全犯罪と呼べるのではないだろうか。千暁は法律と法律の隙間から、この世の闇と相見(あいまみ)えた気がした。

1週間後。千暁は和香菜の家へ行き、彼女の母親と再会した。前に会った時よりも白髪が増え、顔もげっそりしていた。彼は一礼した後、和香菜さんにお焼香をあげさせてほしいと頼んだ。彼女の母親は優しそうに微笑み、彼を中へ招き入れた。彼女の母親は、彼女の死から半年経っていて、精神的にも落ち着いたように見えた。
 リビングへ行くと、ベランダには半年経った今もたくさんの献花が置かれていた。言われずとも、彼女からここから飛び降りたんだと物語っている。

 「佐々倉君が来てくれたわよ。良かったわね、和香菜」

 和香菜の母親は、ベランダの出入り口近くの仏壇の前に焼香の準備をしながら、彼女に話しかけた。写真に映る屈託ない彼女の笑顔が懐かしく感じると同時に、今はもういないという喪失感が押し寄せてくる。彼はお焼香をあげた後、リビングを見渡した。すぐに目に入ったのはソファだ。彼が隅に座って、和香菜が泣きついてきた様子が今も鮮明に思い浮かぶ。固まったようにソファを見てると、和香菜の母親はお茶菓子を用意しながら話す。

 「和香菜はよくそのソファに寝転がってたのよ。まるで自分のベッドみたいにね」

 そう言われると、和香菜が寝転がっているのが思い浮かんだ。純粋に寂しかったんじゃないか、と彼は思った。両親が共働きで、一人っ子・・・大学の同級生はSNS依存症と揶揄していたが、SNSさえも彼女にとっては寂しさを紛らわせる存在であったのかもしれない。彼女の母親はテーブルの椅子に座るよう彼に促した。

 「当時は、酷い事を言ってしまってごめんなさいね」

 彼には、彼女の母親が何のことを謝ってるのかはすぐに分かった。霊安室の前でどうして和香菜を支えてくれなかったんだと言ったことに違いない。

 「いえ・・・本当のことだと思いましたから」

 それから、彼女の母親は彼が聞いてもいない和香菜の話をしはじめた。2300gの低出生体重児で生まれたこと、お菓子を食べ過ぎて昔太っていたこと、気が弱くて派手な子の真似ばかりしていたこと、片想いしてた子にフラれて3日間部屋に引きこもっていたこと・・・それらの話は、彼女の想い出を回想しているようでもあった。

 「あらやだ・・・無駄話が過ぎたわね。今日はお焼香に来てくれてありがとう。和香菜の分まで元気でね」

 長話に付き合わせてはいけないと思い、彼女の母親は立ち上がった。彼は、彼女の母親の話し方から、自分がもうここへ来ることはない体(てい)で話されていると分かった。前に彼女の父親と話した時もそうだった。二人は、娘を失ったばかりだというのに、和香菜が千暁の将来の負担にならないよう一生懸命配慮してくれていた。それなのに、彼は今までは彼女を死に追いやった犯人を見つけて、制裁を与えることばかり。しかも、それがまたこの両親を悲しませることになると知らずに・・・。でも、今の彼には何をすべきか、どう生きるべきかが見えてきていた。彼は立ち上がって、目をそらしている彼女の母親の目をじっと見ながら言った。

 「来年もお焼香に来ていいですか?」

 彼女の母親は一瞬驚きながらも、テーブルを片付ける動作を止めることなく、ふふっ、と優しく笑う。

 「いいのよ。もう十分よ。佐々倉君には佐々倉君の・・・」

 彼は、彼女の母親の言葉制す。

「忘れたくないんです!たった4カ月の付き合いでも、彼女は僕の人生でかけがえのない存在なんです!」

 語気を強めて言ったので、彼女の母親は身体をビクつかせた。その後、彼の顔を見て、唇を噛んで、必死に目にたまった涙をこらえていたが、口元が緩ませると同時に涙も溢れた。

 「はい。来年も会いに来てやってください。」

 ベランダから勢いよく吹き込んできた風が、彼と彼女の母親の髪を揺らした。